知っているのに、生きづらいのはなぜか
知っているのに、生きづらいのはなぜか
本を読んで、セミナーに出て、資格をとって、知識を増やして・・・
それでも、なぜこんなに、悩みは尽きないのか。なぜこんなに、生きづらいのか。
この違和感の正体は、私たちの「知る」という構造そのものにあります。
西洋知的な知性の体系
現代社会を支えているのは、西洋的な知性の体系です。
論理、理性、意味、証明、正解など。
「正しいことを、正しい手順で、正しく行えば、うまくいく」
そんな思想が社会の隅々まで浸透し、私たちの思考・感情・言葉の使い方までも規定しています。
けれど、人間の内面は、そんなに合理的ではありません。
気持ちは揺れ、記憶は曖昧。他者と心が通じ合う瞬間には、理屈など介在しない。
それなのに、私たちはずっと「わかりやすく説明しよう」「伝わる言葉にしよう」と頑張ってきました。
説明せずに、通じ合う
しかし、本当に大切なことは「説明しないことで通じ合う」そんな感性と言語の在り方の中に、あるのではないでしょうか。
たとえば、詩や俳句にある余白や余韻、禅の「不立文字(言葉に頼らぬ伝達)」、茶の湯の「一期一会」など。
日本の知は、伝えきれないものを、あえて伝えようとする知があります。
すくい取れない感情や感覚を、すくい取るために編み出された言葉があります。
それはAIにも、論理にも再現できない領域。感性と言語が出会う、もっとも人間らしい場所。
人間らしさ、を取り戻す
現代は、西洋の知に偏りすぎました。
その結果、論理で割り切れない「人間らしさ」は置き去りにされ、共感も対話も、すれ違うばかりになっていませんか。
だからこそ、いま必要なのは、感じる力を、再び言葉にしてゆくこと。
そして、「正しさ」ではなく、「余白」から世界を見るまなざしです。
もういろいろ知っているはずなのに、なぜ苦しいのか。
その問いの向こうに、新たな言葉の扉が開いているかもしれません。

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