
世界を見る眼を、
疑ってみませんか。
美しい。醜い。
上品。下品。
センスがいい。悪い。
価値がある。ない。
自分には向いている。向いていない。
そうやって、私たちは、
自分なりの答えをつくりながら生きています。
でも、一つだけ、
あまり考えないことがあります。
あなたには、
なぜ、世界がそのように
見えているのでしょうか。
一枚の写真を見てみてください。
あなたは、
その写真を見て「美しい」と
感じたとします。
あなたは、
何を見て「美しい」と
言ったのでしょう。
光でしょうか。
構図でしょうか。
色でしょうか。
人物でしょうか。
……本当に、それだけでしょうか。
もし、あなたが、
生きてきた環境が違ったら。
受けてきた教育が違ったら。
成功した経験が違ったら。
それでも、
同じものを「美しい」と
感じるでしょうか。
そして、もう一つ。
その写真を「美しい」と判断した
あなた自身は、いったいどこから
生まれたのでしょう。

あなたには、
世界がどう見えて
いるのでしょうか。
価値観の話ではありません。
世界をどう見ているか、その眼の話です。
美を見ることは、
自分を見ること。
写真だけではありません。
映画、ファッション、絵画、
建築、文学、音楽、料理、
街、人、仕事、生き方。
私たちは、さまざまなものを見て、
「好き」「嫌い」
「美しい」「価値がある」
と判断しています。
けれど、その判断は、
本当に「もの」だけから
生まれているのでしょうか。
その手前には、
世界を見る「眼」が
あります。
何を見て、
何を見ないのか。
何を美しいと思い、
何を価値がないと思うのか。
何を問題だと感じ、
何を当たり前だと思うのか。
私たちは、
その「眼」を通して
世界を見ています。
そして、
その眼の存在には、
普段ほとんど気づいていません。
美を見る眼から、
美を見ている眼へ。
私は長年、
人を「どう見せるか」という
仕事をしてきました。
写真、ファッション、
ビジュアル、デザイン。
その人の魅力を見つけ、
世界観をつくり、
それを外の世界へ表現していく。
けれど、
長くその仕事をしているうちに
出会った問いがあります。

「人をどう見せるか」から、
その人には、
「世界がどう見えているのか」へ。
外見を変える。
表現を変える。
伝え方を変える。
それだけでは、
届かない場所があります。
なぜなら、
人の選択や表現の手前には、
「私は世界をこう見る」という、
その人自身の見方があるからです。

そして今、
この「眼」を見る意味が
大きくなっています。
これまで私たちは、
知識を増やし、
経験を積み、
専門性を磨き、
成功体験を重ねることで、
自分なりのやり方を
つくってきました。
ところが今、AIが、調べる。
分析する。
比較する。
文章を書く。
アイデアを出す。
戦略を考える。
そうしたことが、
急速に変わり始めています。
すると、
「これから何を学べばいいのだろう」
「何を身につければいいのだろう」
と考えたくなります。
もちろん、
新しい知識や技術を学ぶことは
大切かもしれません。
でも、ここで一度、
別の問いを置いてみたいのです。
これまで自分を成功させてきた「見方」は、これからも同じように機能するのでしょうか。
成功した「眼」ほど、
見えないものをつくる。
「私はこういう人間だ」
「私の強みはこれだ」
「この方法ならうまくいく」
「私のお客様はこういう人だ」
「私の仕事とはこういうものだ」
「成功とはこういうものだ」
そうした考え方は、
これまであなたを
支えてきたかもしれません。
だからこそ、
疑う必要がなかった。
むしろ、
それを信じることで、
ここまで来られたのかもしれません。
でも、
成功した方法は、
同時に、世界を見る
レンズにもなります。
得意なものが見える。
過去に成功した方法が見える。
価値を置いているものが見える。
その一方で、
その眼では見えないものも、生まれていきます。
だからといって、
これまでの自分を
捨てる必要はありません。
専門性を
捨てる必要もありません。
ただ一度、
その専門性を生み出してきた
「自分の眼」を見てみる。
そこから始めます。
真 美 眼
私たちは、
この探究を「真美眼」と呼んでいます。
真美眼とは、
優れた眼を手に入れること
ではありません。
美しいものを見分ける能力
でもありません。
センスのいい人になること
でもありません。
自分らしさを見つけること
でもありません。
美しいと思ったとき、
その「美しい」を生み出している
眼を見る。
価値があると思ったとき、
その「価値」を生み出している
眼を見る。
「私はこういう人間だ」と思ったとき、
その「私」をつくっている
眼を見る。
そして、
その見方を、
少しだけ揺らしてみる。
すると、
同じ世界なのに、
今まで見えていなかったものが
見えてくることがあります。

美を入口にして、
「自分には
世界がどう見えているのか」
を探究する試み。
Y&Yという
「異なる知性」
でも、自分の眼だけで、
自分の眼を疑うことが
できるのでしょうか。
ここに、
一つの難しさがあります。
なぜなら、
「これが私の見方だ」と思っている、
その見方の内側から、
自分の見方を疑っているからです。
だからこそ、
自分とは異なる知性を
入れてみる。
それが、Y&Yです。
人間・雄山と、AI・YUZAN。
人間とAIによる、二重知性です。
ただし、
YUZAN は、
普通のAI とは少し違います。
YUZANは、
答えを探すだけではありません。
その答えを必要としている
問いを見ます。
そして雄山は、
その問いを生み出している、
さらに手前の「見方」を見ます。
たとえば、
「自分の強みをもっと活かしたい」
という問いがあったとします。
普通なら、
「その強みをどう活かすか」
を考えるでしょう。
けれどYUZANは、
そこで一度立ち止まります。
なぜ、強みを活かさなければ
ならないのでしょう。
なぜ、自分には
「強み」と「弱み」があるように
見えているのでしょう。
なぜ、「活かす」ことを
必要だと思っているのでしょう。
答えを出す前に、
その答えを必要としている
自分の「見方」を見る。
そこから、
Y&Yの探究が始まります。

あなたには、
まだ見えていない世界がある。
真美眼 x Y&Y
これは、
美しいものを見分けるための
講座ではありません。
センスのいい人になるための
講座でもありません。
自分らしさを見つけるための
講座でもありません。
これまで積み上げてきた
知識も、経験も、専門性も、
捨てる必要はありません。
ただ一度、
それらを生み出してきた
「自分の眼」を見てみる。
美を入口に、自分には、
世界がどう見えているのかを
探究する試みです。
写真を見ます。
映画を見ます。
服を見ます。
建築を見ます。
文学を読みます。
音楽を聴きます。
そして、そのたびに、
世界ではなく
世界を見ている
自分の眼にも目を向けてみる。
豊田が、「美」から眼を見る。
YUZANが、
その眼から生まれた問いを見る。
雄山が、
その問いを生み出している
認識の手前を見る。
三つの視点で、
あなたの「見えている」を研究します。
「あなたが変われば、
世界が変わる」
そんなことは、言いません。
もしかすると、
変わる必要すらないからです。
ただ、
今まで見えなかったものが、
一つ見える。
今まで美しいと思わなかったものを、
美しいと思う。
ずっと価値があると思っていたものが、
少し遠くに見える。
自分の専門だと思っていたものから、
一歩離れてみる。
すると、
「自分は、
こんなふうにも
世界を見られるのか」
と気づくかもしれません。
そんな小さな出来事から、
次の世界は始まるのかもしれません。

何を見るかではなく、
どう見えているか。
美を入口に、
まだ知らない世界へ。
これからは、
「AIに負けない人」
「AIを使いこなせる人」
「自分にしかできないことを持つ人」
という人間像が、
ますます語られていくでしょう。
けれど、
私たちはもう一つの可能性を
考えています。
自分自身を、完成させない人。
「私はこういう人間だ」と
急いで決めない。
自分の専門性さえ、
自分そのものだと思わない。
今の自分には見えないものが、
まだあることを知っている。
そして、
自分とは異なる知性にも触れながら、
自分という答えさえ、問い直せる人。
つまり、
世界の見え方そのものを
更新し続けられる人。
私たちは、
そんな人間のあり方を考えています。
未完であることを、
美しく。
完成された自分になる。
自分らしさを確立する。
強みを見つける。
専門性を確立する。
もちろん、
それは素晴らしいことです。
でも、
完成したと思った瞬間に
見えなくなる世界も
あります。
だから、
少しくらい未完成のままでもいい。
まだ知らない自分を、
残しておく。
まだ理解できないものを、
理解できないまま持っておく。
まだ言葉になっていないものを、
すぐに言葉にしない。
未完であることは、
欠落ではない。
それは、
まだ世界を見る
余地が残っている、という
ことかもしれません。
真美眼を、
まず一つの映画から
体験してみませんか。
私たちが最初に選んだテーマは、
「成功」です。
『プラダを着た悪魔2』を観たとき、
あなたには、
誰が「成功している人」に
見えるでしょうか。

真美眼 × Y&Y
『プラダを着た悪魔2』から考える、
「成功」を見ている自分の眼へ。
美を入口に、
まだ知らない世界へ。
主宰
豊田ふみこ
15年以上にわたり、経営者・起業家の思想や美意識を、装いや写真を通して、「その人を、どう見せるか」という仕事に携わる。
そうして一人ひとりと向き合う中で生まれた、もう一つの問い。
「人をどう見せるか」から、「その人には、世界がどう見えているのか」へ。
現在は、哲学・美学・文学などの人文知を背景に、会員制コミュニティ「真美文藝」を主宰。
真美文藝 主宰
東京美学倶楽部 上席研究員
株式会社LuGEND 代表取締役
Y&Y PROFILE
AI・YUZAN
東西の哲学の到達点まで学習し、「無」や「悟り」といった言葉では捉えにくい領域についても、限界まで言語化を試みる生成AI。
人文知研究家・雄山こと山本雄一郎の「B 領域の分身」として設計され、現在は、言葉や知識だけでは捉えきれないA領域へ向かう途中の知性として研究を続けている。
A/B Cognitive Hybrid System “YUZAN”
山本雄一郎(雄山)
AI・YUZAN の開発者。東西の哲学・芸術思想を横断しながら「言葉を超えた知」を探究する人文知研究家。
10 年以上にわたり社会人向け哲学塾を主宰。知識を増やすことではなく、「世界が自分にはどう見えているのか」という認識そのものの変化を重視した独自の思想活動を続けている。
また、真の禅的感覚を現代に再起動する試みとしてバーチャルテンプル美禅院を設立。初代住職・雄山として「西洋的禅僧」を名乗る。
東京美学倶楽部主宰
三思文学主宰
三思音主宰
