思考の先にある「知の旅」へ

【日時】 6月20日(土)13:00 - 15:00
     6月24日(水)13:00 - 15:00
     6月28日(日)13:00 - 15:00
【場所】 ZOOMオンライン
(顔出しをお願いしています)
【参加費】3,300円(税込)
各回6名様まで、女性限定です。


本も読んだ。
経験も積んだ。
考える力も身につけた。

それなのに、なぜか先が見えない。

その違和感を埋めるように、
さらに知識を求め、思考を深めていく。

「できる自分」へ。
「理解している自分」へ。

しかし皮肉なことに、
考えれば考えるほど、
核心から離れていく感覚。

その先に本当に求めているものは
あるのでしょうか。

本を読めば、理解は深まる。
経験を積めば、判断は磨かれる。
分析をすれば、選択の精度は上がる。

けれど、

それらはすべて、
既にある枠組みの中で
世界を理解するための力です。

もし今、

何かを学び続けているのに
先が見えないと感じているのなら。

それは知識が足りないのではなく、

世界を見る枠組みそのものが
限界を迎えているのかもしれません。

必要なのは、
答えを増やすことではない。

世界との出会い方を変えることです。

世界を切り分ける前の場所へ、
立ち返ること。

そこに、
もうひとつの知の入口があります。

人はかつて、
世界を説明する前に、
世界と出会っていました。

名前を与える前に。
意味を与える前に。

ただ、そこにあるものとして。

私たちは、
その失われつつある知の系譜を
「詩」と呼んでいます。

それは、

かつて哲学者や科学者たちも重んじた、
もうひとつの知のあり方です。

「そもそも哲学は、詩のように作ることしかできない」
── ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(20世紀最大の哲学者の一人)

「哲学は、学問の子供時代において、詩から生まれた」
── フリードリヒ・シェリング

ここでいう「詩」とは、
感情を表現することではありません。

美しい言葉を
並べることでもありません。

文学的な知識や才能を
競うことでもありません。

詩とは、
世界を説明するための言葉ではなく、
世界ともう一度出会うための言葉です。

雨を雨と呼ぶ前に。
花を花と呼ぶ前に。
自分を自分と呼ぶ前に。

そこに何があったのか。

その問いに向かう営みを、
私たちは「詩」と呼んでいます。

思考の先にある知の旅へ

知識を増やすためではなく。
正解を学ぶためでもなく。

世界を見るための
もうひとつの知へ。

私たちは、
「言葉の手前」にあるもの
を探究しています。

それは、
新しい答えを得るためではありません。

世界との出会い方そのものを、
問い直すためです。

見慣れた雨を、
もう一度見てみること。

知っているはずの花に、
もう一度立ち止まること。

当たり前になっていた世界に、
再び驚くこと。

それは、
私たちが見失ってきたものを、
もう一度見つめ直す旅でもあります。

夜でもない。
朝でもない。

分かったでもない。
分からないでもない。

世界がまだ名前を持たなかった場所。
意味が生まれる前の場所。

そこへ向かう四つの探究です。

私たちは本当に、
雨を見ているのだろうか。
名前と意味を通さずに世界を見る。
その入口となる章です

正解から離れ、
評価から離れ、
ただそこにあるものと出会う。
名前になる前の世界に触れる章です。

静でもなく、
動でもない。

意味でもなく、
無意味でもない。

世界を二つに切り分ける思考を超えて、
そのあわいに立つための探究です。

言葉を捨てるのではありません。
言葉を取り戻すのです。

説明のためではなく、
世界と出会うための言葉として。

分析し、
比較し、
判断する。

その力によって、
社会を動かし、
組織を率い、
成果を生み出してきました。

しかし、

考える力だけでは
越えられない領域があります。

論理では説明できるのに、
どこか腑に落ちない。

正しいはずなのに、
どこか満たされない。

そんな感覚です。

AIの登場によって、
知識や情報を整理する力の価値は
ますます高まるでしょう。

だからこそ、

人間に残されるのは
何を知っているかではなく、

何を感じ取り、
どのように世界と出会うのか。

その質なのかもしれません。

だからこそ今、
必要なのは知識の量ではなく、
感受することの深さではないでしょうか。

世界をより速く理解することではなく、
世界と、もう一度出会い直すために。

真美研究所は、 答えを与える場ではなく、 問いの中にとどまれる人のための場です。

想像以上の深さに、心が動いた(40代、個人事業主・コーチ)
自分が想像していた以上に、深い内容で驚きました。同時に、「自分が求めていたのは、まさにこういう場だったのだ」と思いました。特に、「言葉によって感性が閉じられている」という言葉が、まるで自分のことのように胸に刺さりました。思考と感性のバランスを取り戻すきっかけをもらったように感じています。

・固定化された意味から、自由になる体験  (50代、会社員・カウンセラー)
私はずっと“言語化が苦手”だと思っていました。でも、実は“言葉”があることで、意味が固定されてしまい、自分の感覚そのものが鈍くなっていたのかもしれない、と今回のワークで気づきました。言葉の意味を手放したとき、逆に感覚が鋭くなっていくのを感じて、世界がひらけていくような、不思議な体験でした。今まで無意識に受け入れていた“常識” や “組織の枠” からも、一歩外に出られるかもしれないと感じました。

・"正解"を探してしまう思考のクセに気づいた (40代、介護業界・管理職)
ワークをしながら、「正解は何かな?」と探してしまう自分の思考の癖に気づきました。つい“正しい答え”を見つけようとしてしまう自分がいる。あるものの中から、最適解を探そうとしてしまう自分がいる。普段は、そんなことにも気づかずに過ごしていたけれども、そこから自由になっていけることを少し体感しました。正解のない世界があっていいんだと感じられたことに、面白さを感じました。

東京官学支援機構 理事
東京美学倶楽部 上席研究員
東京リベラルアーツクラブ研究員
三思文学文芸員
比丘尼会 会員
株式会社LuGEND代表取締役